書いてないと書いてないで溜まっていくようですが
最近本当の意味での個々のリテラシーって大事なんじゃないかと思う反面
結局リアルでもネットでも同じで
繋がりなんて電波でも顔を見ていても「思い合っているか」なのが大事なのかなと思います
今後の世の中は「上っ面だけ」はどんどん無くなるのでしょう
2019年、令和の夏。
毎年僕ら夫婦(子供も含め)夏にまとまった休みを取ることがほとんど無くて。連休が無いのではなくて人が休んでる時にわざわざ休みたく無いなー。ってだけです。
めっきり友達付き合いも悪くなった37歳の夏ですがそれでも無理なーく一緒に入れる人(人達)って本当に貴重だなーと思います。ありがとう。
テキストでのやり取りが「メール時代」よりも格段に増えた今だからこと、レスポンスやその一言の文字にも「熱」があるのか勘ぐってしまうし。勘ぐってる時点でもう自分で線を引いていたりして
自分がなーんも考えてない人ほど「会いたい人」であったり「腹抱えるくらい笑える人」だし「本音で話ができる人」だったりします。
どうしてこんなめんどくさい人間になってきてしまったのかなー笑
そんな時は疲れているのは気であって遣っているのも気。
人こそが最大のパワースポットで、自然の中の何も無いような中でただ酒飲んで適当になんか焼いて笑ってるの。最高じゃ無いですか?
もうね、現代は溢れすぎてる。
僕は山育ちなので海に異常な憧れがります。が、結局海より川派
河原の浅ーいところで、ちっと歩いたとこにタープ張って、ビール飲みながら身の回りの手の届く範囲でキッチンゾーンを作って、あれやこれや適当な順番を考えながら焼いて飲んで焼いて飲んで
川って石なので、石を適当にゴロゴロ持って川をせき止めて子供用の遊ぶゾーンにしたり、滝を作ってみたり
夏は水遊びに限ります
振り返ると8月は毎週のように外に遊びに出ていて、暑いのが苦手な我が家は川へ川へと涼みに行っていて
パパが一人でヘキサタープを立てるスキルもBBQまがいに焼くだけで美味しいものもレベルがだんだんと上がっている気がしてます
自己満足です、分かってます
こんなネット社会だからこそアウトドア。
物より情報、体験。テキストよりもただ会う事の繋がり。
僕は過去に興味がありません
ですので旧交を深める、とかクソくらえです
だからといって新しい出会いとか縁とかも必要最低限で十分な何とも進化しない野郎です。
その中でも一番会いたくないのは過去の自分だったりします
よく学生時代の友達と会うと「その時に戻れる」とか言いますが半分それは合っているけと、半分外れていて
お互いの関係性や成長をお互いが知らない、だけであって
戻れるとかとは違うと思うんですよねぇ
大事なことはそこ(現在)に居る。
いつも気がつくのが遅いしブレてしまう。
2人で遊んでたのが9人になってたりするのも楽しいけど
やっぱりあの羽生の繁華街を自転車ニケツして田んぼに落ちてゲラゲラ笑ってたあの頃があるから今も楽しいんだろな。
ありがとう、また行くね。