いくつになっても空から何かが降ってくるというのは心が躍ります
それは同じ国とは思えないような豪雪地帯の雪国で育ち、TOKYOCITYにいて38歳なってもたいして変わらないのだから。
雪が嫌いです
故郷は遠くに有りて想うもの、とは上手いこと言ったもので故郷の雪景色は思い馳せるから綺麗なだけで本当の雪国なんて良いことのほうが少ない
東京で雪が降ると30秒くらいは「うわぁ」となるのだけれどすぐ後にはスタットレスに変えていないタイヤ、乱れる交通機関、積もった後の行き場のない残雪。雪かきをしたことがない人たちがする除雪は北側にいつまでも解けない砂と埃の混じった汚い氷の塊になるだけの景色が見えてしまって
東京での雪はとても良いもではありません
今年は正月と先週と、今日。1月だけで雪予報が3度ありスニーカーしか持っていないのでスノーブーツを買ったりスコップ準備してたり準備万端でしたが三度目の正直で今日降った感じです
雪が降るとスキーを思い出して
選択肢のない高橋少年は野球だろうがバスケだろうが問答無用でスキーしかやる事がなく
それが本当に苦手で好きになれなくて、でも運動は好きだし友達と一緒に遊べるのも好きだし、中途半端に弱いところなら適当にやれていたのだけれど僕の所属していたスポーツ少年団(地域)は県下でも強豪なスキースポーツ少年団で
そしてそして僕の同級生には後に中学で東北で団体2位というメンバーが二人もいて団体のリレーなんていうといつも最終走者の僕は大きな貯金を全てひっくり返してトップ争いから大きく離れてゴールするあの申し訳なさと罪悪感
個人ではいつもビリか後ろから2番目かの僕は辞めたいって言えないまま、バスケがしたいって言えないまま選択肢のない雪の山での練習を続けていました
雪上でやるスポーツは遊びでやれないほどにもう20年一度も雪山で遊んでいない。上手い下手早い遅いが明確に出るから。
たった10年しか生きていない選択肢のない山の中はその後の人生にとても影響を与えるのでせめて僕の子供には選べる環境を与えたい。
自分の意志とは関係なく白く塗りつぶす雪景色が嫌いなのは、何も考えずに雪の畑で遊んでいた楽しい思い出も塗りつぶしてしまったからなのかもしれない