美容師17年目です
故郷を出たのが18歳のときで
もうすぐ故郷山形で過ごした時間よりもTOKYOで過ごしている時間の方が長くなります
その時その時で人 並みに友だちは居た気はするけど
僕みたいな日本有数のへき地な田舎で
狭いコミュニティから数十年経っても変わらずの友だちって中々いなくて
自分も家族が増えていくと山形に帰ってもとんぼ返りな事が多くなりました
そんな34歳の春
久しぶりに「友人の結婚式」に出席させて頂きます
■高校時代を過ごした「金山」と言う地区
僕は高校1,2年生の時ちょっと追い込まれてて。簡単に言うといじめられてて笑
なんかその周りとか、実際は全然関係ない人まで「僕の事目の敵にしてるかも」って今でも薄ら暗い心持ちがあります
多分本人たちはそんな事覚えてもなくて、ダメージ受けてるのって本人だけなんですよね
どうやって乗り越えたんだっけとか考えたら同じバスケ部の同級生たちがすごく必死に守ってくれてたのを覚えてる
何も返せずに17年もたってしまったな
あの1,2年の時バスケ部の監督だった先生は一昨日亡くなったって連絡がきた
みんな覚えてるかな、知ってるかな
とりあえず同じバスケ部だったキャプテンに連絡したら胃腸炎で寝込んでたみたいで返信がバカ早かった
■4月に店を休みます(僕だけです)
高校のときの同級生が結婚式をするって連絡が来て
出席するか迷ったけど色々18年前に出来なかった事、言えなかった事を大人になった自分が叶えに山形に帰ります
1つは結婚式する友だちのお母さんに
僕が将来なんてなんも考えずキムタクに憧れて「美容師になる」って高校3年生で決めた時
美容学校に入学せずに“縁故”ってやつで山形の超人気オシャレ美容室に就職させてくれて、それと同時に職業訓練校に入学させてもらった
今の美容師高橋が居れるスタートを作ってくれたのがそいつの美容師であるお母さん
(なので僕は試験も就活もしていない)
高校生の時親と挨拶にいった覚えはあるけど、報告とお礼を改めてしたい。
1つは僕が美容師になる前自分で髪切ってて。
ノリで人のも切った事とかあって。今考えるととんでもないですよね
それがまあ死ぬ程出来なくて笑(当たり前だ)
それ以来髪の毛やった事ないけど、山形帰ったついでに18年ぶりに小綺麗にしてやりたいと思います。
■お店(美容室ボレロ)は開けてます
そんなことよりもお店を土日に休んで、スタッフに任せて、妻が替わりに終日店に出てくれて
子供たちは保育園もないので
1人でちび2人連れて新幹線!!
もはや今から緊張しています
山形に着いたらじじばばがいて実家に預けるので安心ですがどうなることか笑
娘にパパとママいなくて山形でいれる?って聞いたら
「ぜんぜんだいじょーぶ!ままはおしごと?だれけっこんすんの?だれとけっこんすんの?」
っていっちょまえにヘラヘラ聞いてくるので小沼が結婚式するんだって、誰とするかはパパも分かんないな。って応えたら「ふーん」って興味全くない返事してました。
息子は暴れ猿と化して進撃のクラッシャーになること。
この心配は的中します、つらい。
こうやってブログを書く事は「発信」と「ログを貯める」ことと「忘れない」為と「埋もれないため」で半分が仕事、半分が趣味みたいなところはあって
環境と時代が変わればポケベルや電話はLINEになり、風の噂はSNSになった
確実に便利になってるのに今では連絡取り合うのも少なくなるもんです
「便利は3日で慣れる」ってうちのばあちゃんよく言ってました
そんな中忘れないでいてくれた人って貴重だな、と改めて思っています