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新庄ばあちゃんと僕の話

人の一生は、きっとどれもドラマチックで

誰ひとりとして面白いものも哀しいも楽しいもなくて
未来もなくて今しかない

その割には今の集合体が未来になってたりして

人の人生に楽しい終わりかたは、1つもない

最愛のばあちゃんが亡くなりました。

四十九日も過ぎて何となく心が落ち着いたので書いてみます

享年85歳

孫6人
曾孫7人

母親の旧姓「柴田」は無くなりました。
八敷代にいる僕の再従姉弟(またいとこ)が柴田だったけど男がいなく嫁いでいき、事実上柴田性はなくなっていって
ばあちゃんの旧姓「大野」は新庄にある。

命が繋がっていくって、今まで考えた事がなかったけど
僕にはじいちゃん、ばあちゃんがこれで4人亡くなり
ばあちゃんいつも言っていた「命を見送って、命を迎え入れている“順番順序”が幸せな意味」が何となく分かってきています

ばあちゃんの人生について考えたこともなかったけど、僕とばあちゃんの話を書いてみます

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僕のばあちゃんは僕が生まれた時はばあちゃんでした。

僕は父方の祖父祖母と一緒に住んでいたので「新庄のばあちゃん」で新庄ばあちゃんってずっと言ってました。
それは新庄に住まなくなってから生まれたうちの娘も「新庄ばあちゃん」って呼んでいます。

ばあちゃんは僕が物心ついたときから一人暮らしで
新庄のじいちゃんの記憶が僕にはありません
それは母親が3歳の時に亡くなっていて
母親ですら記憶に無いって言います

僕が今娘と息子が3歳と0歳なので
ばあちゃんはうちにきた時「こんなくらいで徳子(ウチの母)は父親亡くしてんだもんなあ」なんてどこか他人の話みたいにするばあちゃんがいてました

小さい頃は孫達(僕のいとこ)は年に数回しかこれないし、僕はと言えばずーっとちっちゃい頃から毎週、高校生のときは「新庄に家がある」ぐらいの勢いでばあちゃん家にいたから面倒かけたのも距離が近かったのも孫の中では僕がダントツでその分可愛がられて
いっつも過剰に心配性なのは僕が孫だからで、大人になって気がついたのはそれだけ心配をかけてきたらからで
結婚式にセットしてあげると「ブロー料金な」お正月にカットしてあげると「カット代金な」っていって僕だけがいつまでもお小遣い貰ってたのは内緒の話です

ばあちゃんが新庄に住まなくなったのは自分の娘の所に家を新しくするからとか、年齢がとか色々合ったとは思うけど
僕は上京してきていたし、ばあちゃんは神奈川の大船に引っ越してきて電車で1時間くらいの距離でやっぱり僕はばあちゃんのとこにちょくちょく行っていて
ばあちゃんも僕が勤めている美容室まで何度も足を運んでくれていました。

僕が結婚して、曾孫が産まれて「ばあちゃんに曾孫を抱かせてやりたい」っていつも言っていたから曾孫4人同じ学年でいたけれど(それもすごい)
ウチの長女だけそれはそれは大層に可愛がってくれていたと思う。
他のいとこに申し訳ないくらいに。

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相思相愛とはまさにこの事だっったけどばあちゃんは“洋介が選んだ人”だからとウチの妻にも大変よくしてくれて
妻は嫌な顔1つせずにむしろ気があったのかばあちゃんが泊まりにきても同じトーンで接してくれていたし
次の日僕が仕事でもばあちゃんと娘と三人で遊びにいってたり、ランチに回らないお寿司食べてたり
なんか親よりも近い位置で、ばあちゃんも孫と曾孫会いたさにスイカで電車を乗り継いでTOKYOまできていました。
「これにお金をいれとくんだ」って得意げにスイカの事を教えてきていましたが僕は「知ってる」と大人ぶってスイカ定期を見せつけてやりました。
いつからか孫の顔よりも曾孫の顔の方がみたくて新しい携帯に変えて「定期的に写真を送るように」なんて指令が出ていたりもして

泊まった後駅まで送っていくと毎回絶対に振り返らずに帰るばあちゃん
ばいばいしたその直後から絶対に振り返らない
送っていっても、どんなシチュエーションでも絶対にスっと帰ってました

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今思うと最後に泊まりにきたときと、その前と2回かな
晩酌も終わってお風呂はいってお茶でも飲んでる時に
ポツ、ぽつりと語りだしたんですよね
僕はいつもばあちゃんの話は「ふんふん」「へぇ」って聞いてるだけで好きで
でもこの話だけはいつもと違ったかな、今思うとだけど。

その時はばあちゃん自身が産まれた時でした
そして子供の頃の話、戦争の話

その次は結婚して嫁行ったとき、長女の前にいた子供が死産だった話

離婚して(させられて)旦那さん(僕らのじいちゃん)と出会った話
長女産まれた話
次女(僕の母)産まれた話
三女産まれた話

旦那さん亡くなった時は5歳、3歳、0歳の子供と4人で
何を考えてたとかなくてとにかく毎日生きていくのに必死で
釜淵で4人で暮らしてた話

家を壊されて、新庄の駅前(ばあちゃんの実家)にこなければならなくなった話

駅前での娘3人甥っ子3人実家の母と兄弟たちとの暮らし

その後は新庄で家を借りて、子供達と暮らして

順々に嫁に出して
孫の1人目が産まれて…

あとは僕の子供時代の話

ばあちゃんは来るたびに時代さかのぼって、まるでその時いたみたいに話して
その時の温度までこっちに伝わるくらいに。
俺も知らない話ばっかりでやっぱり「へぇ」くらいしか言葉が出なくて

ばあちゃんは毎月じいちゃんのお墓に行ってるって言ってました
ばあちゃんは何にもないけど
「可愛い子供、孫、曽孫をおいてってくれてありがど」って言ってくるって

その時ばあちゃんは「あと何回(洋介の家に)これるか毎回思う、10年若かったら私が育ててあげたのに。子供(娘3人)たちには母親してやれなかったから、私が千早育ててあげた」なんて
その時俺はどんだげのパワフルババアだよ、曽孫面倒見る気があるならまだまだそんな弱気なこと言うな、なんて笑ってたけど

「今が一番幸せだ」ってばあちゃん話ししてた。

ばあちゃんが倒れる1ヶ月前。
いつものようにウチに2泊して帰るとき、用事もあったし一緒に新宿まで行って湘南新宿ラインのホームエレベーターで閉じる扉で急にボロボロ泣いて、
振り返って手を振ってバイバイしてきた
いつも絶対振り向かないばあちゃんが

僕が最後にばあちゃんとちゃんとコミュニケーションとれたのがそれが最後

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脳梗塞で倒れて、入院施設入院とめまぐるしく1年は過ぎて
ちょこちょこばあちゃんに会いにはいってたけど
言葉も喋れないし、オシャレなばあちゃんの髪は真っ白で、たまにカットしてあげるくらいになって
それも次第に出来なくなって

亡くなる一ヶ月前はもう完全に意識も無くて
シワシワの手を何ども握ったけど、返事はありませんでした

ばあちゃんが亡くなったのはドラマ「カルテット」のボレロビオでのロケ日。
最中に携帯がなって、ロケが終わって速攻で横浜までいって
冷凍保存されてるばあちゃんにあったけど不思議と涙もでなくて

葬式は曾孫達がてんやわんやで
最後骨になったばあちゃんは写真の中で笑ってました

四十九日が終わった日の夕方、自宅で何気なくご飯の準備をしていると
「きょーしんじょーばーちゃんくるの?」とおままごとして1人で遊んでた娘が聞いてきて
「しんじょーばあちゃんくる?」と何度も言ってるので、ばあちゃんが来てるのか急に嬉しくなって涙がでてきて娘にばあちゃん来てた?って聞いたら
「んーきてない、みてないなー」
何なんだ。期待してしまったぜ。ちなみに僕は霊的な話は200%信じていません。
(実はこれ以外にウチの娘は突然不思議な事を言った事があって、そのお話はまた今度に)

 

 

 

人の一生に色がついていない人なんていない
きっとどれもドラマがあり、必ず最後は死ぬ

死ぬって最後だけども、繋がっていく

やっぱりばあちゃんのこと書いてると泣いてしまうな、だめだ

ばあちゃん亡くなってから一回も夢にも出てこないし
ばあちゃんの存在を近くに感じる事も無い

旦那さん(じいちゃん)と半世紀以上ぶりに会って
今までの60年分を話してるんだと思うと
ちょっとだけ、じいちゃんに嫉妬したりする

思い出寿命
人が亡くなるのは人が忘れた時って宴楽さんいってた

なんだか締める言葉もみつからないな

ねぇ、ばあちゃん


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