引っ越しをしました
賃貸の普通のマンション2LDKから、賃貸に
関係ないけど何でワンLDKなのに、次からにーLDKって日本語になるの不思議。
1Kからはじまり次は1R。そして1K、2DK、2LDKと着実にステップアップしてます僕の人生ですが始まりの実家は7茶台(※)でしたので少なくともそこは目指したいです。(※茶の間と台所な)山形にはリビングとかダイニングとかなかったんです
やはり歴代のケータイにも、スニーカーにも、自転車にもそれぞれに思い出があって家なんていったら思い出どころじゃなくてそれはもう人生で
1Kはあけみちゃんとずっと一緒にいた家で、帰るだけの家は上京後の寮と杉並の家で。2DKの家は色んな事があったなぁ。
最近思い入れとか段々色んなものに強くなってきている気がするんですよね
大袈裟かもしれないけど、引っ越しブルーになっているのは
何気ない毎日には幸せが溢れていてKJが日々に感謝を、という言葉が20代ではわからなかったのが30代になりとても身に染みてわかるようになってきたのはこのマンションで。
楽しかった20代は毎日仕事と夜中までのお酒と記憶のないような日々は最高だったんだけど
一日の終わりにただお風呂に子供と入ってるだけでこんなポンコツな僕なのにこんな幸せなのにいいのかと涙がでてきていたのはやっぱりこのマンションで。
次の家も4丁目から2丁目になるくらい。色々考えましたよそりゃ買うか買わずかから学区を変えるかとか職場ありきにするのか環境を求めるのか、夫婦でこんなに話したの独立したときくらいってくらい。
結果だけ言うと環境かえないことを優先しただけ。本音を言うと子供の困る顔とか寂しい顔とか辛い顔が環境を変えることでみることになるなら環境をかえないでの方が良かった。
これが一番でこれが全て。
引っ越しの話をする度に泣く娘と困る長男とワケわかんない次男、いつも家族に言っていたのは「どこにいったとしても5人が家に帰ってくればいつも一緒だから、住む場所違うくなるだけだから」と言うのは自分に言い聞かせていた言葉だったと気が付いたのはカーテンのついていない新居で引っ越しがひと段落した時でした
幸せの原点を離れるというと自分でも思いもよらない気持ちが溢れてきて、それが引っ越しブルーなんて気持ちになるのかなぁ、なんて。
引っ越したばかりは一人でスマホの画面くらいのテレビのリビングで、広すぎると思っていたのがわずか7年でせまくてマンガに押し潰されそうになるとは人生は本当に分かりませんです
東京都小平市に何気なく引っ越して来たらいよいよ小平の人になってきている。
以前のマンションで撮った何も映えない幸せの日々の写真は数千枚に及び、これからの新居はまた普通の生活が始まるけれどイレギュラーが苦手になってきたのは年齢のせいなのかもしれないので穏やかに普通の日々を送っていけたらいいと心底思う。